鈴韻集序文 | 俳句 追憶 武村 清 | 追懐 八巻 弥 | 輓 柏堂 阪口新圃 |
追懐 鈴木博士 八 巻 弥
輓 鈴木庸生博士 柏堂 阪口新圃
追悼録の命名 | 佐佐木信綱博士が鈴木の姓に因んでその清き韻の永久に伝わるようにと命名された。 |
庸生氏次女、由幾の夫、佐佐木治綱氏の厳父に当たられる。 | |
序 | 片山 正夫 昭和17年 初秋 |
故鈴木庸生博士は初め南満鉄道株式会社中央試験所で、後理化学研究所で幾多の卓抜な化学的業績を残し、忽然、長逝された。有志が図って記念文集を刊行する事になり、その序文を請われた。本来文筆に浅い者であるから適任ではないが、専門学科が同じ者の中では最も長く知己の栄を得た一人として臆面も無く引き受ける事とした。 この書は佐佐木信綱大人の選名で「鈴韻集」と題された。そもそも鈴の韻の中、最も尊いのは宮中賢所のである。元始、祭りの朝三殿に鳴る鈴の音は、和やかな中にも豪宕<ゴウトウ=豪放>の響きがある。夏の夕、軒端の風鈴は清冽の音で自ら濁りを去る思いがする。遥かに品は下るが、小娘の木履<ポクリ=ポックリ>の裏の小鈴は嬉々として無邪気な風情の音がする。 故鈴木博士の専門学科に付いては自然界の真理と自ら共鳴する様に、和楽の中に豪放な創見を建てられた。博士の事業界に付いては清浄恬淡<テンタン=物事に執着しないさま>少しも俗気を帯びなかった。博士の交友に接すると和気藹藹<アイアイ>度々小児の様に歓笑した。蓋し<ケダシ=まさしく>鈴木博士の余韻は上は宮中の御鈴より、下は軒下の風鈴より木履の小鈴に至る迄、あらゆる有様の風致を備えるものであって、鈴韻集とは真にその実に沿う良い名だと信じるものである。 編中に収められる諸文は鈴木博士に関する諸方面よりの観察を漏らすところ無く独り記念文集としてこの上もないばかりか、後進の有益な一助ともな得るものと信じる次第である。 |
俳句 追憶 鈴木庸生君 |
武村 清 (新京工業大学長) |
9月15日 満州国十周年記念祝典の日<昭和17年> |